画像説明:【大和ミステリー】平城宮第2次大極殿に赴き真相究明を誓う・・
最後まで目を通していただけた方にのみ、
㊙タヌキの落とし物が見つかるかも・・でおじゃる。
大和歴史探訪:長屋王の変
721年12月29日元明天皇崩御後、辛巳事件をきっかけに長屋王と藤原四兄弟との政治的対立が激化。
結局、藤原氏の讒言が成功し729年『長屋王の変』が起こる。
陰謀の標的にされた長屋王は(神亀6年2月12日)、邸宅を藤原氏側の兵によって囲まれ首を吊って自害したとされる。
『長屋王の変』は、奈良時代最大の歴史ミステリーとして後の世に語り継がれるが、平安時代になると、長屋王へ向けられた当時の嫌疑はすべて藤原氏による捏造で、政治的失脚による冤罪事件であった事が常識視されるようになる。
拾い物を落とし物に:親子で大和西大寺駅付近のミステリーツアー
しかし、近鉄大和西大寺駅は便利だよな~。
奈良中心と大阪方面が直通で結ばれていて、真北に上がれば京都、南下すれば大和八木から橿原・吉野まで行けちゃうもんな。
俺達が目指すのは駅北口から東に約500M、平城宮跡ミステリーツアー。
長屋王邸宅跡と比定される場所からは、焼け焦げた木簡・瓦などが数多く出土されているって研究もあるみたいだね!
歴史の通説では、長屋王は無抵抗のまま自害(首吊り)とされているが・・そんなわけないじゃん!
『長屋王の変』では、予想を超える抵抗があった可能性も有るみたいだし、冤罪を仕掛けた藤原氏側も(亡骸を含めた)証拠品の隠滅を意図し、包囲からの火矢によって邸宅を全焼させたんじゃないのか?
死人に口なし。
木簡・書簡等の証拠品だって残しちゃ~、藤原氏にとっては都合が悪いもんね!
犯罪者が考える事はいつの世も一緒!
証拠品は”灰”にするに限るってわけさ。
確かにね~、”遺体”が手つかずで残っていると”傷口”などから”死因が特定”できちゃうもんね~
さてさて、無駄口はここまでだ。
大和には歴史ミステリーがたくさん埋まっているからな~♥
息子よ、さあ~出発だ~。
ダッシュ!!ダッシュ!!
・・ポトリ・・
おやおや?
1300年前のミステリーを追いかけようと長屋王邸宅跡を目指すうっかりタヌキ一行は、大和西大寺北口駅前ロータリーで何やら怪しい落とし物をしたようです♥
ちょうどそこに、初デート中の初々しいカップルが通りかかりました。
あ、ちょっと、
そこのタヌキさん!!
何か落としましたよ。
【令和・大和ミステリーツアー:狙撃ポイントはどこだ!】って書いてあるんだけど?
読んでいいの?!
ねえ、タヌキさんってば~
あちゃ~、ごめんごめん!
大切な”研究資料”を落としちゃったよ~♥
でも、中身は俺の灰色の脳細胞の中に全部コピー済みだから、よかったらプレゼントするよ!
ただし、閲覧は自己責任だぜ!
二人のデートにでも役立ててちょうだい!
Adiós・アディオ~~ス
ピュイ~~~
(タヌキもスライムも行っちゃった・・)
ど・・どうする?
なんかあのタヌキ達も資料も怪しいよね?
あら、私はミステリー大好きよ♥
秋篠寺を拝観した後に、おしゃれな甘味屋さんにでも寄って開いてみましょうよ。ワクワク
(ラッキー♥)そ、そうだね。
伎芸天の次はミステリーもいいかもね!(もっともっと、仲良くなれるかな)
怪しいタヌキさんが落とした資料にはYouTube動画が2つ添付されていたようです。
タヌキさんは「閲覧は自己責任だぜ!」と語っていましたね。
さてさて・・
1300年前の長屋王の変もミステリーなら、令和4年7月8日の未解決事件もミステリー。
混迷する日本の夏は・・まだまだ暑く・・続いていきそうです。
おしまい。
注:『バン』防止策
当サイト防衛のため、動画へのリンクだけを貼り付けています。
もしもこれらが”真相”に近ければ、今後なんらかの証拠の隠滅がなされるかもしれません。
ホッカホカの情報満載。
ご視聴はお早めに。(状況によってはこの記事も削除するかもしれません)