画像説明:【ハゲタカさ~ん遊びましょ!】SP猫君を尻目に、なぜか怪しい手が伸びるタヌキの図
バブル経済は、『国家全体で実体を伴わない乱脈な消費や投資が繰り返された過去のデタラメな経済状況の事』・・なんて思っていませんか?
それこそが罠であり、日本人が今に続くデフレ経済を肯定していく一要因(ショック)ともなっているんですよ。
【タヌキの『開運』家族運営】では、一貫して『バブル崩壊』は国際的詐欺・仕組まれた売国政策によって引き起こされた、と断言しております。
当サイトがそう言い放つ理由について、関連する過去の重大な出来事を順に振り返りながらザックリと説明したいと思っております。
知ってるようで知らなかったバブル崩壊の真実。
前後編の2部構成で紹介する・今回は前編『バブル崩壊までの前段階』の説明です。
表版:バブル崩壊とは?
一般的には・・プラザ合意以降、だぶついた通貨が銀行などを通じ過剰融資されるに従い、個人・企業の乱脈的な消費・投資が繰り返された結果、実体価値とかけ離れた架空の経済状況が日本社会を覆い、その夢(バブル)が弾け、現実(実体経済)を取り戻す転換過程で起こったショック(現象)の事を”泡のような夢が弾ける”に見立て「バブル崩壊」と呼んでいますね。
ウィキペディア(Wikipedia)では以下のように説明しています。
バブル崩壊(バブルほうかい)は、日本の不景気の通称で、バブル景気後の景気後退期または景気後退期の後半から、景気回復期(景気拡張期)に転じるまでの期間を指す。内閣府景気基準日付でのバブル崩壊期間(第1次平成不況や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』バブル崩壊
裏版:バブル崩壊とは?
ぶっちゃけ難しく考える必要はないよ♡
当時の日本政府が認めてしまった国際的経済詐欺・売国政策、あるいは日本の二度目の敗戦・・
- 1945年:大東亜戦争の敗北=武力の敗戦
- 1985年:プラザ合意=経済(国富流失)の敗戦
こう思っとけば正解だから!
バブル崩壊までの前段階:アメリカ経済と大東亜戦争前後の振り返り
1950年代中期以降・・
戦後、敗戦国家の日本が日の出の勢いで経済復活を遂げる傍らで、戦勝国家アメリカも堅調なる経済発展を成し遂げていきました。
アメリカ人は物に溢れつくした生活に慣れ親しみ、大量に生産し大量に消費する独自の経済スタイルを確立していきます。
このようなアメリカの大量消費型経済市場は、やがて世界中で生産された安価な製品の大量流入を呼び込むようになりました。
他方、不思議な事にアメリカの貿易黒字は続いても、民間投資や海外援助・軍関連費などの名目でアメリカは国際収支で巨大な赤字を繰り返すようになり、保有する『金』についても目減りしていくばかりとなっていきました。(1955年~59年・アメリカの国際収支はマイナス27億ドル)
価格のわりに品質は良くない自国の製品は次第に安価で高品質な輸入品に押されるようになり、アメリカ経済を取り巻く環境はますます苦しくなっていきました。(1960年代中期以降・この辺りではアメリカ国民の中でも景気後退の自覚症状が出てくる)
1965~:ベトナム戦争への介入
さらに追い打ちをかけたのが東西冷戦の象徴・ベトナム戦争(1965~1975)への軍事介入でした。
インドシナの小国となめ切ったアメリカ軍の戦い方は、世界の警察・世界の秩序などの国家ブランドからはかけ離れた単なる”虐殺”の肯定行為ばかりで、時間を追うごとにその卑劣さが自国でも話題となっていきました。
長期化する紛争は徐々にアメリカ経済に深刻な打撃を与え、加えて戦争目的すら達成することなく(後に)撤退する羽目となるベトナム戦争は・・言ってみればアメリカ建国以来初の『敗戦』となってしまうのです。
膨れ上がる戦費、世界中に流失するドル・・一時世界の金総量の三分の二を保有していたとされるアメリカの金準備率は瞬く間にその割合を減らしていきます。
そして1970年代初頭・・
アメリカ国内では膨れ上がる対日貿易赤字に「JAPANバッシング」が叫ばれ、反戦ムードは募り、極端に進行するインフレ・経済不況に国民不満は爆発寸前・・アメリカ国民の誰しもが現状の打開・WW2の勝者の復活を待ち望んでいました。
1971年:ニクソンショック
そのような環境下、1971年8月15日に米ニクソン大統領によって全世界へ向けて何の事前連絡もなく一方的発表された宣言こそ、後に「ニクソンショック」と呼ばれるものでした。
これは当時の世界の経済体制、いわゆるブレトンウッズ体制を根底から覆すルールの一方的変更宣言だったのです。
世界は「金と交換できる唯一の通貨が$(ドル)である」というルールによって回っていたものが、この日の宣言を境に・・
- ①金とドルの交換(1オンス=35$)が出来なくなる(停止状態)
- ②輸入課徴金10%の導入
- ③90日間の賃金・物価凍結
アメリカは身勝手にも自国経済の防衛のため、戦後自らの意志で取り決めたはずの”世界経済のルール”を、たった一つの宣言を境に大幅に架け替えてしまいました。
当然世界は大混乱、ドルに対して固定為替相場を採用していた国々はこの発表以降、変動為替相場へと移行せざるを得なくなっていきます。
<<ニクソンショック=ブレトンウッズ体制の崩壊⇒(固定相場)スミソニアン体制⇒変動相場制>>
㊙大東亜戦争はブロック経済が生み出しました
時間軸を戦前に戻して・・1929年の世界大恐慌。
その正体とは・・アメリカの政治家が関連する企業の利益を上げるため提出した法案「ホーリー・スムート法」がショックとなり株価が暴落した、実にくだらない動機で引き起こされた世界を巻き込んだ経済不況なんです。
要するに『自社の製品が売れるように外国製品には高関税をかけろ!』という趣旨の法案で、それがまさかの議会で通過してしまったので市場は大混乱・・世界同時株安に、世界ブロック経済化が急速に進めれれて行きました。
【参考過去記事】排日移民法・世界大恐慌を説明⏎
当時、自給自足を達成できる国家は世界にアメリカ・ソ連・英連邦のみ。それぞれに独自の経済圏を構築しブロック経済へと舵を切っていきました。
他方、優秀な国民、最高峰の軍事力に支えられた大日本帝国でしたが、原油・ゴム・鉄鉱石などの資源類は海外からの輸入に頼っていました。
帝国は満州・アジア諸国との連帯に活路を見出しますが、アメリカを中心とした植民地を世界中に持つ国家からは、植民地支配を継続しようとする思惑・日本との取引を禁止する取り決めなどが重なり・・
白人支配に従わない世界で唯一の有色人国家、「大日本帝国」の殲滅が虎視眈々と画策されて行きました(ABCD包囲網)。
それこそが世界同時「ブロック経済化」の正体であり、アメリカによって放たれた最後通牒(対日宣戦布告)が、かの有名な「ハルノート」だったのです。
【参考過去記事】満州国建国・ハルノートについて説明⏎
帝国は祖国防衛のため自衛の戦争へと舵を切っていきます。
しかし、残念ながら結果のほどはみなさんがご存知の通り・・
ハーグ陸戦協定を徹底的に無視した都市への絨毯爆撃に、広島・長崎に2種類の原爆投下を受けた帝国は1945年8月にポツダム宣言を受け入れ、同年9月2日・東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号艦上において停戦協定に正式調印します。(日本の降伏)
日本・ドイツ・イタリアを戦争へと駆り立てたブロック経済の見直しが叫ばれる
~大いなる意思が働き~、まるで示し合わせたかのような世界同時ブロック経済化は、資源的に不安要素を抱える日本・ドイツ・イタリアを自衛の戦争へと駆り立て、全世界が戦争の舞台となるWW2「第二次世界大戦」を勃発させてしまいました。
戦争末期から戦後にかけて、英米を中心にブロック経済の問題点が確認されるようになり、これに代わる新しい経済ルールの取り決めが急遽話し合われるようになりました。
このような流れを受け取り決められた戦後経済の新体制が、米ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで締結された1945年発効のブレトンウッズ体制(基軸通貨ドルの確認・自由貿易の推進)だったのです。
え、おかしくない?
日本やドイツを葬るためにブロック経済化を仕掛け、まんまと戦争に勝利したから戦勝国はブレトンウッズ体制(自由貿易化)に移行したんだよね?
じゃ~なんで、新しいルールを作ったはずのアメリカがニクソンショックで世界との約束を反故にするの?
そりゃ~世界で”唯一『金』と交換できる通貨”とだまして世界中から『金』を巻き上げ、その傍らでは散々ドルを刷りまくって使い込んだんだから、アメちゃんは借金(金との交換)が返せなくなったのさ。
だから「もうドルは金と交換しないよ!両替にも応じないからね~」ってゲロったのが1971年のニクソンショックなのさ!
じゃ~ドルは紙くずじゃん!
当然紙くずだよ♡(今の通貨は全部紙くずだけどね)
じゃ~なんでアメリカ(ドル)はつぶれていないの?
おまけに世界中は、なんで約束破りのデタラメ国家アメリカに文句を言わないの?
世界最大の軍事力を持つ国家に誰が文句を言えると思う?
ニクソン大統領の発表は、金本位制度から管理通貨制度(いわゆる信用創造)への転換を意味し、究極的には”通貨は軍事力によって裏打ちされた幻想にすぎない”って事を、世界中に初めて確認させたきっかけとしてとても重要な意味を持つのさ。
だからニクソンショックって呼んでるんだよ。
EEEEE~~デタラメやん!!
そう♥
アメリカは建国以来ずっとデタラメな国家なんだぜ!
ニクソンショックのその後
世界はアメリカ(ドル)の基軸通貨としての信用を見限り、こぞって変動為替相場制へと移行していきます。
他方、アメリカという巨大国家に巣食った金融界の寄生虫たちは、宿主の健康状態など顧みる事無く散々に養分(ドル)を吸い取った後、新たな獲物を求め世界をさまようようになっていきます。
一部勢力は1971年7月15日に発表されたニクソン大統領の『訪支宣言』に活路を見出し、さらに一部勢力は、もはや「アメリカを凌駕した」と言わしめるほどの経済大国へとのし上がった我が国日本にその汚らしい触手を伸ばしていました。
ニクソンショック以降、固定相場から変動相場制への転換は新しいルールの変更と同義となり、各国において様々な混乱を引き起こしていました。
聖書の昔より国を追われ、特定の国家に同化することなく寄生してきた”ある奇妙な集団”は、持ち前の金融(通貨)のトリックを巧みに練り上げながら各国の混乱に付け入り、実体経済を食い物にしようと寄生していきます。
彼らはアメリカの持つ軍事力(脅し)を巧みに利用しながら、他方では民主主義のシステム(弱点)に深くに入り込んでいきました。
各国のTVや新聞といったメディアに有り余る資金を注入し世論誘導を展開。さらに篭絡済の政治家を使って自分たちのいいように様々なルールの変更を・・時にアドバイスし、時に恫喝し、認めさせていくようになります。
- 市場開放・投資の自由化は絶対条件!!
- 関税障壁・保護貿易は悪
- 構造改革・規制緩和は善
各国のそれぞれに置かれた地域性・国土事情などお構いなしに・・
『すべてのルールは統一されなければならない!』
・・と、まるで自由とはかけ離れた共産主義的な態度をもって推進されていく様々な経済連携協定は、世界中に新たなる経済不均衡をもたらし、いわゆる”負け組勝ち組”・貧富の格差を大量に生み出していくようになりました。
アメリカは残念ながらニクソンショックのドーピング効果も一時的で、空洞化が止まらない製造業界を中心に1970年代以降も不況からの脱却は達成されませんでした。
かたや我が国日本は、国民一人一人の勤勉さと中小企業の頑張りに裏打ちされ、経済状況に大きな混乱をきたす事はありませんでした。
日本は表向きの印象とは違い実は内需中心の経済体質だったおかげで、ニクソンショック以降も比較的経済は底堅く推移し、国民生活についても「日本国民総中流・1億総中流」なる言葉が生まれるほどに、多くの国民が経済成長の恩恵を等しく享受することが出来ていました。
そして放たれた日本解体のシナリオ:後編へと続く
東西冷戦の維持・・
基軸通貨としての信用・・
世界の紛争への介入・・
WW2に勝利したアメリカの威厳は戦後瞬く間に失墜し、その莫大な財政赤字もさることながら、一旦陰りを見せ始めた産業全体の空洞化はもはや誰の目にも覆い隠すことのできない代物となっていきました。
「安保にタダ乗りしながら自分たちだけ経済成長を遂げやがって・・」
「JAPめ・・今に思い知らせてやる!!」
アメリカ国内で噴出する敗戦国家日本への”ひがみ”・”やっかみ”はやがて対日敵対視政策を政権に模索させるようになります。
またそこにつけ込む金融筋の思惑も相まって、日本の富を奪い尽す裏取引がアメリカを中心としたG4・金融界を中心に話し合われるようになりました。
そのような”世界の悪だくみ”を警戒することも、また知ろうともしない・・
大東亜戦争を戦い抜いた先人方が本当に守り抜きたかったものの正体すら忘れ去ってしまった”平和ボケ日本国民”。
それはさながら”オオカミの群れにとり置かれた赤子”のよう・・
世界の警察を自負したアメリカの軍事力に甘え、自国の防衛意識すら置き去りにした国家と国民は、やがて大きなつけを身をもって払い続ける事になってゆくのです。
1985年プラザ合意・・そして放たれる日本解体のシナリオ。
迎え撃つは中曽根康弘首相・・
日本の運命やいかに!
頑張れニッポン!!
以下、後編へと続く・・
ま、日本が負けたからバブルが崩壊しちゃってるんだし・・
そもそも中曽根は売国側の住人で、敵を迎え入れた側なんだけどね・・
それでは後編では・・
米レーガン大統領が日本に1985年プラザ合意を認めさせ、後にバブル崩壊を演出したあたりをざっくり説明をして行こうと思います♡
おしまい。
後編はこちら⏎