画像説明:【行き先】すべての”善意”は、あの旗の後ろ側の戦争屋を勇気付ける
国籍の意味
曰く、「森元首相と鈴木宗男は老害以外の何者でもない」
- どこぞの外国人が、個人的な思想信条をもってどの地域を支援しようが自由です。
- どこぞの外国人が、他者の利益を代理する為にどの地域を支援しようが自由です。
- どこぞの外国人が、スポンサーと契約し日本人のようにふるまうのも自由です。
しかし、たとえどのような売国的政治家に対してであろうとも、選挙結果によって選出された日本の国会議員を「他国民が罵倒する」のはいただけません。
日本の行く末は、日本人が決定します。
個人的な思想信条と対極にある政治家を罵倒したければ、自国の”それ”に対してのみ行えばよろしい。
無意識だとしても、分をわきまえぬ越権行為は「馬脚」となりて様々な”背後関係”を炙り出す事でしょう。
思い返せばロ・ウ開戦直後、どこかの富豪が「やり方はこうですよ!」と教えるように10億円の寄付金を表明しましたが、裏側から見れば、巨大ビジネスにまつわる噂や美女話がチラホラと・・。
また先日の記事でもお伝えしたように、岸田首相が戦争首謀者のしりぬぐいと思えるタイミングでの「ウクライナ訪問案」をぶちあげています。
前出の”夫人”とパペット首相を操るジャパンハンドラーとの間に、何らの関係性は無いと信じておきたいのですが、我が国の特定議員に対し、やたら攻撃的な言動に着目すると・・
”日ロ離間工作”とともに”第2の湾岸クウェート”を狙ったチョウチンアンコウ的な”嫌な予感”しかしてこないのですから不思議なものです。
日本は”世界情勢を知っているから”、戦争ビジネスに”巣食う”勢力からは”遅れを取って”いいんだよ。
どうぞ、なんちゃら夫人に置かれましては我が国を巻き込まず、自身の国籍に則ったご活躍を♥
某アグネスとどこが違うの?
どっちかって言ったら、某黒柳の方に近いんじゃない?
頑張れ!インドネシア!!
頑張れ!インドネシア国籍!!
注1:「歯に衣着せぬ論調」は嫌いではありません、が、我が国は北朝鮮に「反省」を示さねばならぬ何らの根拠も持ち合わせてはいません。「拉致はあった」。そして我が国は武力も選択肢に「返せ!」と言い続けるのです。
注2:森氏や鈴木氏の対ロシア論調は、ほぼ国益にそった正論です。言葉の選び方に問題はあっても一考の価値はあります。
注3:民間支援はせいぜい数千万単位・国家による支援は場合によって数千億単位。スポンサー・広告料を支払ってもお釣りが出ます。
注4:ウはいろいろ他国へ横流し
注5:↓日ロ離間工作♥
分かっている兄貴・スカルノ大統領
インドネシア建国の父、『ブン・カルノ』(カルノ兄貴)の名は伊達ではありません。
- インドネシアを250年以上非人道的な手段をもって支配していた連中は『オランダ』。
- スカルノは、1927年インドネシア国民党を結成し、反植民地運動の先頭に立つ。
- 1945年『終戦の詔勅』により、全世界に大日本帝国降伏が宣言された2日後、スカルノはインドネシアの独立を宣言。
- 1945年8月18日・スカルノはインドネシア初代大統領に就任
- しかし、独立を認めようとしないオランダ(欄英豪連合軍)との間に、激しい戦端が開かれる。
- スカルノたち国民党側は(在インドネシア)旧日本軍人による無償の協力体制も手伝い、4年後の1949年12月・旧主国であるオランダをはじめとした国際社会に「インドネシア独立」を認めさせる。
- 独立後のインドネシアは、なぜか植民地支配されていたオランダへの借金返済(インフラ・投資の買取対価)等に追われる事となり、経済的には困窮を極めた。
- ちなみに日本は、旧統治領に投資したインフラは無償提供。むしろ独立祝い金や・ODAなどを通じ莫大な資金援助と、必要のない謝罪外交を繰り返しています。
- ↑これはすべてアメリカ(金融寡頭勢力)からの命令&吉田茂体制の賜物です。
- ちなみに日本は、旧統治領に投資したインフラは無償提供。むしろ独立祝い金や・ODAなどを通じ莫大な資金援助と、必要のない謝罪外交を繰り返しています。
- スカルノは、英米の主導する金融支配の毒素を理解しており、また、海外勢力からの横やり(国内分離独立勢力への資金援助・内乱誘発)を回避する必要性から、急速に独裁色を強める。
- スカルノは「指導される民主主義」(際限なき自由は認めない)を実施し、ソ連やシナの共産主義体制との親和性を深めていく。(愛国心・ナショナリズムの喚起)
- そのようなインドネシアを英米欄は歓迎せず、1965年9月30日、米諜報機関が主体となって「インドネシア9月30日事件」と呼ばれるクーデターを引き起こす。(のちに米は関与を否定しているが、状況証拠から英米欄の関与は明らか)
- クーデター後のインドネシアは「共産党狩り」を敢行。右派と左派の絶妙なバランスの上に立脚していたスカルノの政治的立場は急速に悪化。
- スカルノは、混乱を引き起こした責任を追及され1967年3月12日大統領職を退く事となる。(「スカルノ大統領糾弾運動」ここでも米諜報機関は反スカルノ勢力に工作資金を注入し、デモを扇動)
- 「建国の父」としての名誉だけは保ったものの、大統領を退いてからのスカルノは軟禁状態に置かれ、多くの夫人や家族が国外へ脱出する中、1970年失意の内に永眠(69歳)。(スカルノに最後まで連れ添ったのは第二夫人「ハルティニ」のみだったとも)
ま~たインドネシアの政変にも英米が出てくるんだね!!(激怒)
スカルノさんも、インドネシアも可哀そうだよ。
9月30日事件や赤狩りに関連して、当時数万人規模の犠牲者が出たんだってね・・
スカルノ大統領の凄いところは「通貨発行権の闇」を完全に理解していた事さ!
「紙切れの$で、インドネシアの国富は盗ませない!!」って姿勢が英米の金融界隈の怒りを買い「クーデター」プレゼントされちゃったわけだよ。
今のロシアと同じで『民族自決』と『独自の通貨発行権』を死守したかったんだよな~
(英雄に合掌)
- インドネシアの英雄は、生涯にわたり金融寡頭勢力と戦っていました。
- インドネシアの英雄の元〇人は、現在金融寡頭勢力の宣伝部長のようです。
スカルノ大統領は、日本を愛し日本との共栄を常に模索していました。
そんな英雄から憧れを向けられていた我々日本人ですもの・・先人方が護り抜いてくれた国家の矜持を忘れる事無く、妙な横やりに邪魔されぬよう、今後の日印尼友好(日本・インドネシア友好)を盛り上げていきたいですね!
ぶっちゃけウクライナは・・後回しで十分です。
おしまい。