諸説ありますが一番有名なものをご紹介します。
200年代のローマ時代、治世はクラウディウス・ゴティクスの頃。
当時のローマ帝国では男女の私的な結婚は認められていなかったそうです。その理由は「男性が遠い戦場に駆り出された時、愛する者を故郷に残していると士気が下がる」と考えられていたからでした。
ですので当時のローマの恋愛(結婚)機会は限定的で・・
「2月14日の祝日(家庭と結婚の神ユーノー)に女性が自分自身の名前を書いた札を箱の中に入れ、翌日15日の豊年祭に男性にくじ引きの要領で引かせ、札に名前が書かれてある女性と踊りを踊った」とされています(高確率で結婚したそうです)。
このようなやり方はもちろん当時においても不平不満が訴えられ、それを哀れんだ「ウァレンティヌス(バレンタイン)司祭」は皇帝の命に背き、こっそりと男女の仲を承認し、愛する者同士の結婚式を執り行ってあげました。
しかし・・その噂は当然のように皇帝の耳に届き、ウァレンティヌス司祭は「国家の決まりを乱す者」として捕らえられ、処刑されることになりました。
その処刑日として選ばれたのがユーノー神の祝日2月14日だったのです。
ローマ皇帝としては、命令を無視して男女の結婚を勝手に認めた反逆者の処刑日は、家庭と結婚を司る神ユーノーの祝日こそふさわしいと考えたのでしょうか。
やがて時代は下りローマ帝国は滅び、ウァレンティヌス司祭の勇気ある行動はキリスト教圏で聖別視されることとなり、こんにちの「男女の恋愛を見守る聖人」としての故事へと昇華していき、また併せて、2月14日は「恋人たちの日・聖バレンタインデー」とみなされる様になっていったそうです。